カルテットにおけるフラットな存在感

カルテット2話目
今回は、別府こと松田龍平の回だった。

 大島渚の「御法度」や松尾スズキの「恋の門」の映画に出始めた頃は、もうちょっと違かったと記憶しているが、「舟に乗る」、「あまちゃん」の頃には、松田龍平は、いつのまにやら、ボソボソと能面に近い表情で喋る俳優になった。悪く言うつもりは、ないが、よくコンクリートのところを黙々と這っているようなジメジメ感のないでんでん虫のようなイメージだ。

 鶴瓶さんのやってる「A-studio」にこの間、カルテットに出ている高橋一生が出ていたのを見た時、間違ってるかもしれないが、このような趣旨のことを喋っていた。

○「自分は、役をやっている意識は、なくて、そのまんま台詞を喋っていくことで役になっていく。」

→身体を「ハード」、台詞を「ソフトウェア」としてインストールしていくことで演じるという方法だろうか。

 これは、松田龍平にもあてはまる話ではないか。
 松田龍平も「役を演じている感」がフラットであるように感じられる。別府という男のようでありながら、松田龍平その人でもあるように感じられる。満島ひかりも、また、そのような感触が伝わってくる女優さんだ。

 一方、松たか子だけ、主要4人の中で、違う手触りの演技の方法をやっているんじゃないかと自信はないが、自分は感じる。松たか子だけ、松たか子じゃなく、巻さんとして軽井沢にいる。

 そして、まだまだ途中だが、このお話は、松たか子を中心にして回っていくような話のように思うので、そのような、巻さんこと松たか子松たか子でないこと、つまりは、ミステリアスで底が知れないことはプラスにしかならないため、自分がそういう見方をするからそうなっているだけだとは、思いつつも、万が一そこまで計算しているのならば、ほんと、スタッフや役者さんたちは非常に優秀で素晴らしいなと思うのだ。

 今回、別府さんこと松田龍平の同僚として出てきた菊池亜希子さんの演技が心地よかった。女優さんとしての能力の高さを感じた。非常にきれいな女優さんだし、思わぬめっけものだった。