「SMAP解散」、目線の変化

 「SMAP解散」って、きちんとしたファンでもない自分には、ちょっと寂しいなぐらいの影響かなって思ってたら

 その後、元SMAPのメンバーがひとりでバラエティーなんかに出てきた時、見るまなざしが、こうも変わるのかと自分で自分に驚いた。

 テレビだから、そんなバカなとは、思うが、しなくていいのに、なんかこっちが人見知りするのである。

 言ってみれば、例えば、行きつけのガソリンスタンドのお兄さんなんかと、街中で偶然出くわした時に、「ガソリンスタンドのお兄さんの感じ」じゃなかった時の戸惑いと言ったらいいだろうか。

 または、余計なことを言うと、「会社社長のおじさん」がいろいろあって「ただのおじさん」になった時の「会社社長だから」と気を回してかさ上げしてた分扱いに困る感じと言ったらいいだろうか。

 ガソリンスタンドじゃ、遊んでなさそうな感じだったのに、チャラチャラしたの雰囲気とか服装とかで、現れた時に「あ、どうも。」と声をかけづらいときのあの感覚。

 社長だからと、普通のおじさんより、持ち上げてたのに、何の権力もなくなって、それなのに偉そうな口ぶりが抜けてなくて、それへの違和感のような感覚。

 今まで、いかに「SMAPの」という枕詞をつけてそれぞれを見ていたのかと気づかされる始末だ。

 だから、今後は、晴れてなのか、個人になったわけで、個人としてのまなざしへチェンジするまでのこの期間と思えばよいのだろう。

 ちょっとずつ、その傾向(「キムタクのタトゥー的なやつ」)があるが、これからは、「SMAPして守らなければいけないこと」が解禁となり、例えば、人気を左右するような「猟奇犯罪マニアです。」とか「飲尿療法が日課です。」とか「2次元しか愛せません」とか「事故物件に選んで住んでます」とか人気商売ゆえの隠し玉が出てくるんじゃないかとワクワクしている。

 勝手な話、稲垣吾郎香取慎吾あたりがそのへんの埋蔵量が巨大な気がする。