読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

すずめがソロのカルテット

 今回の「カルテット」は、飲み会の話のネタとして使えそうな「SAJの3段活用」が出てきた。

 それは、興味のない相手から告白されたシチュエーションでは、S=「好きです。」→A=「ありがとう」→J=「冗談です。」との流れの会話が起こりがちというもの。
 3つめの「冗談です」で、その会話自体が全部リセットされるというのが、切なさを加速させるポイントだ。

 個人的には、もっと切ない、S=「食事行きませんか?」→「すいません。」という「SSの2段活用」の方が、悲しいかな、馴染み。

 っていうか、興味のない相手からすら、告白されないパターンの人生もあるということをここにそっと書いておきたい。特に意味はない。

 夕べの話は、すずめの片思いの模様がメイン。見ていると、同坂元さん脚本の「それでも生きていく」を思い出した。
 それには、満島ひかり扮する双葉がファミレスの紙ナプキンに、自らの思いを書きなぐるシーンがあった。
 「カルテット」での薄暗い不動産屋のキーボードの上で甘ったるい夢から醒めて、こぼれるように涙が頬をすべり落ちていくシーンは、それに匹敵するぐらいのものだったと感じた。

 どちらも、手に汗握るじゃないが、心に汗をかくというか、心が濡れるというか、見ていて、悲しみが画面を越えてひしひしと伝わってくるものだった。ひとりきりの芝居でこの感じが出てくるのは、演技の上手さもあるが、それ以上の何かもあるのかもしれないと感じた。孤独の悲しみを感じた。

 途中、たこ焼き屋を介して、視聴者にカルテットの4人の「アンジャッシュのすれ違いコント」ばりの全員が一方通行の片思い(家守→すずめ→別府→真紀のきれいな一方向の矢印)の全貌が明らかになるくだりがあるが、どうにも、怪しんではいたものの、家守さんがすずめにというのは、乗れない。なんだか乗りたくない。話を面白くするための作為が感じられるから。
 過去回をもう一度、見れば、家守さんがすずめにという伏線が何個かあるのだろうか。だいたい、有珠は、じゃなかったのか。スケープゴートだったのか。

 いずれにしろ、自分は何といってもすずめへの思い入れが強く、それぞれの片思いの結末というか、まず、すずめがどうなるかが最大の関心事。

 思えば、このドラマは、誰が主人公か分からない。ウィキによれば、松たか子ありきの企画のようだが、カルテット4人のマルチな視点で描かれていて、誰が主人公でも構わない雰囲気がある。

 という感じなので、そのとおり、すずめを主人公として最後まで見守りたく思う。それにしても、サンドイッチマン冨澤のマスターへの収まりのよさは、ちょっと異常だ。