ボブ・ディラン

ボブ・ディランの件。
別に言わなくてもいいんだけど
なんか瞬間的に興奮したので書きます。

なんか、ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランがしても電話もきちんと取らず、コメントも出さないみたいな「沈黙」を続けていて
 なんか、それに対してノーベル賞の誰なのかは、わからないけど
ムカついて
「無礼だ傲慢だ」だと言っているみたいなことがあるんだとニュースで小耳にはさんだが

それが、ほんとに事実だとすれば
まあ、受賞を取り消すとして
事務的に困るからとか
やってる人にしかわかんない状況も
ありそうだから
ノーベル賞サイドの気持ちもわからなくはないけども

「これって、どっちが傲慢なのよ」って少し言いたい。早く言いたい。

 まず、一番の前提として「ボブ・ディラン って、ノーベル文学賞欲しいって言ったの?」みたいな。
「おねだりしたっけ?」みたいな。

 むしろ、この感じから匂うのは、考えすぎかもしれないが、「俺はノーベル文学賞。世界的権威。無視するなんてどういうことだ。」という声。

 仮の話、もし、そんなつもりだったら、そうだとすると、結果、傲慢になっちゃうのは、ノーベル賞サイドになっちゃうでしょうね。

 たしかに、ノーベル賞ってやつは、超がつくほど有名だし、この社会において特筆して名誉あるもので、かなりの高みにポジショニングされているし、くれるのならほしいし、なんか、くれないかなーって思うけど
 
 もちろん、それを全然名誉と思わない人もいるし、独自の視点や考えから、苦々しく思ってたり、腹立たしく思う人もいるんじゃないの?と思います。

 だから、物の例えとして、いくら、ノーベル賞から電話をせっかくもらっても「壁、直しませんか?」ってしょっちゅうかかってくるリフォーム業者からの営業電話と同じみたいな感覚の人もきっといる。

 そこで、たぶん、リフォーム業者は、「俺は、リフォーム業者だぞ!なんで、電話を取らないんだ!無礼だ、傲慢だ」って思わないと思われる。
きっと、ビジネス顔で淡々と名簿片手に次へかける。
 だから、こういう時に地金が出る。どう思っていたかという隠された自意識が出る。

 要するに「社会的価値」と「個人的価値」がミスマッチなだけじゃなかろうか。
「お前が思ってるほど、相手にとって、お前は、大事じゃない」というか。悲しい話ではあるけれど。

基本的に
こういう賞関係にありがちな罠ですけど
あげる方「えらい」、もらう方「えらくない」 
みたいな上下の図式

それを言うのは野暮というか
賞ってそういうもんだから
だいたいの場合は、この図式でいいんだけど

今回のディランのリアクションは
そうじゃない場合だよと伝えているのではなかろうか。

とりあえず、応急処置的に
賞を「あげます」じゃなくて
賞を「受け取ってほしいのですが、どうですか?」切り替えたら、いいのじゃないだろか。
ていうか、もう、そうやってんのか?やってそうだな。ノーベル賞、ごめん(笑)まあ、言うだけ言おう(笑)

だいたいにして
ファン心理として、反骨の魂みたいなイメージのあるボブ・ディランが、理由はともかく、無視してるのは、大人としてどうかと思うし、「無礼」と言われても仕方がないなぁとは、思うものの

 つい、笑みがこぼれるというか。「やってるな、ディラン」みたいな。天下の痛快事だったりする。裏切らないなというか。また、ディランの場合、それをさらに裏切るパターンもありそうだから、全部、喜ぶけど。
 
 まあ、ほとんどの人が品行方正な方が世の中のくるくるよく回るし、都合がいいから、それでいいし、それでいってほしいけど、やっぱ、ブコウスキーみたいなこういう「ブルジョワの勲章はいらない。」みたいなカマシをする人も硬直した価値観へ一石を投じる意味で必要だよな。と思いますが、どうですかね。