ララランド ミアへ言いたいこと

 ララランドを見た。最初から一気に結末のネタバレになるが、エマ・ストーンのやってるミアには、本当がっかり。5年後の冬の展開には、心からなんでやねんと思いましたよ。ミアさん、あなたは、そういう魂の持ち主ですか。

 セブの方は、健気にも店名も「チキン・スティック」から「セブズ」にしてるわ。 そもそも、あの頃語り合ってた夢の店を持つことも叶えてるわ。

 ミアの言う通り、あの頑固な男が彼女の言葉を取り入れて、変節してまでやってのけてるのに対して、ミアは、女優としての夢を叶えたものの、夫と共に豪邸からやってきてってそれはないわ。

 しかもおまけに腹立つのは、そんなミアが、セブの思いの詰まったピアノ演奏でいたたまれなくなり、店を立ち去る時に一旦振り返ってセブと目が合った時に許しを乞うような、後ろめたさを表情に浮かべた時にセブに「l love you ok」みたいな感じで許させたこと。そこまでさせるんかい!「l love you ok」までさすなよ。ミアは、そこで振り返るべきじゃない。振り返らずに「セブズ」を出るべき。だって、ミアはそうじゃない方を選んだのだから、それはそれで仕方ないのだ。それなのに、ピアノ聞いて思い出したって、また、セブをかき乱すんじゃないよ。

 これ、なんだろう?と思ったらあだち充の漫画「H2」の比呂がララランドのセブに重なる。
 自分のまとめだと、比呂は幼馴染みのひかりが好きだったが、親友の英雄と交際する。比呂は物語を通じて苦しみながら、その現実を受け止めていく。春香という新しい好きな人を見つける。

 と、そこで終わるはずなのに、なまじ、英雄もひかりも比呂の存在が気になる。ひかりは、散々、比呂を揺さぶった後、それなりに落ち着くが、今度は、英雄が収まらない。で、決勝戦で、英雄はひかりを賭けて比呂と戦おうとする。もうやめたげてである。比呂は、最後の投球で白く光る涙を一筋流す。それは、勝利の涙ではなく、失恋の涙だ。甲子園優勝投手は、優勝を味わうことよりも、もう自分のなかの終わった恋をむごい形で痛め付けられるのである。

 あ、なんか言いたいこと。尽きた。ミアもいろいろとあってのあれだとは、思うし、セブにおもっきり肩入れするとこのような意見にもなりがち。以上。



 

 

 

 
 

りゅうちぇる論

 
 りゅうちぇるにずっと興味がある。


 若いながらも才気を感じる素晴らしいタレントだと思っている。
 
 今を感じさせる時代の申し子のようなルックスとちぇるちぇるらんどのギミックなどの申し分のないキャラクターがあるにせよ、歌手だ、役者だなどの一芸なく、徒手空拳で魑魅魍魎が群雄割拠する弱肉強食のバラエティー1本でやってこうとする大河ドラマばりの血に餓えた狼のようなソリッドな野心には、平成のアメリカンドリームさえ見いだしてしまう。
なんつって。


 個人的には、出演本数もうなぎ登りだった第1期りゅうちぇるは、ぺことの結婚とともに終わったと見ている。
 
 世間には、バカを装いながら、バラエティーにおける「はい、これが欲しいんでしょ」と提供するハイレベルな対応が、これから、どこまで続くか。ほんと、感心しながら見ている。

 最近は、熱中すると沖縄弁が出るというギミックを推している感じのりゅうちぇる。これもいつまで持つか。で、次の一手はなんなのか?りゅうちぇる。にこるんとの抗争劇も、おじさん、もう食べ飽きたよ。ネクストりゅうちぇるよろしくだよ。

 たぶん、次は、ぺこ妊娠からの、りゅうちぇる2世誕生。りゅうちぇるハウスみたいな感じで、りゅうちぇるの家族の物語をバラエティーで発動、展開させてくのではないかと睨んでいる。「家、買いたい~」って言ってたし。これが無理のないラインじゃなかろうか。

 でも、年齢を重ねれば、最終的に、林家ペーパー夫妻枠が一番収まりがよさそうに感じるがどうなるんだろう?

 いずれにしろ、視聴者として、このまんま、テレビを見続けたい。

吉岡理帆の「どんぎつね」

 
吉岡理帆の
「どんぎつね」の笑えるほどの破壊力
いわゆる「考えた人天才」のやつ

初見の時、持っていた箸、落としたほど
思わず「うわー」と言った。
こう来たか電通
電通なのか、調べちゃいないけど

なんて妖艶なのかと
べたつかないエロスが
サービスエースで横を抜けていくような

色香がドアを閉めても隙間から
はみ出してくる感じの感じ


ちょうど、広瀬すず
チャルメラ猫耳コスをやっていて
今、チャルメラのパッケージの袋には、
それがしっかりと
印刷されてて
この間、店で「あ、印刷されてる」って
思ったばかりだが

それと一線を画すというか
年齢もタイプもベクトルが違うから
比べるのは広瀬さんに申し訳ないが

広瀬さんのは、「そうか、猫耳か。猫耳ねー。」で終わったが
吉岡さんは「うわ、きつね!」だった。
驚き。

広瀬さんのも
もっと珍種だったらよかったかも
思いつかないけど
まあ、「オカピ」とか「ウォンバット
とか「ミーアキャット」とか

見た時に「ん?何のコス?」ってなって
調べると「オカピかよ!ウォンバットかよ!なんで、そこへ行ったCMプランナー」みたいな方がって、ぜんぜん、良くないか。クソつまんないか。
難しいなぁ。

豹とか猫 猫科と女性の相性は
古くからよくって
狐って 犬で、男性的だと思うんだけど

かえってコンサバな服の方が
色香が醸し出されるように

吉岡理帆補正はあるにせよ
まあ、そういうことなのかと

なんか、きつねって写真集つくって
いろんな女優さんをきつねにさせたものを
見てみたいなと思うけど
誰か、金を出して、製作して
売ってくれたら、ありがたいなと
思います。

この間の村田とエンダムの試合について

土曜日のあのこと
ボクシングの村田の件
判定が出た瞬間は「嘘でしょ」と思ったし
その後「手数が少ない」論に「そういうものか」と
しぶしぶ納得し

ところが、こうしてWBAのメンドーサ会長が
公式謝罪のコメントを出すと「やっぱりな(笑)」と思ったが

ここで「あれ?」と疑ってしまうのは
「もしかして、プロモーターさんたちは、初めっから再試合ありきで、そろばん弾いてませんかね?」ということ。

どの時点でかはあれだが
わざとこのような疑惑の判定を審判に下させ
「再試合」へもつれこむこと
 これ自体がそもそもシナリオだったのではという疑惑だ。

 だって「再試合」見たいでしょう。不可解な判定に怒りに燃え、再び、王者を仕留めにいく村田ってストーリーはかなり魅力的。チケット価格は沸騰する。とんでもない闇価格になりそうだ。
 
ひょっとして、それが狙いだったのか?
だとしたら村田は、たまったもんじゃねえなと思うのです。
それだとすれば、我々の目に見えないところで、村田にもお金をあげてほしいなんて思うのです。
この根拠のない仮説が正解ならば

それにしても
村田のディッフェンシブなスタイルを減点とするなら
エンダムの後半の連続クリンチも減点とすることが
公平ではないか。

だいたいにして
「闇雲にパンチを出せば、闘争的」ってなるんだったら
馬鹿馬鹿しい気もするんだけど(笑)

 とにかく、現役チャンピオンにアドバンテージありとは聞くが
どこからどこまでのアドバンテージなのかも具体的に示して
欲しい。
あらかじめ、例えば、何点かもらっておくとか
グローブの硬さを上げておくとか

興業として盛り上げていくことは、商売として必要なことは、わかるが、そのへんスポーツとしての論理ときちんと棲み分けしてほしいよねというのが、いち視聴者としての意見。

渡部建さん、おめでとう。

 
 渡部建佐々木希の結婚の報道を聞いてまず思ったのは「やっぱり、付き合ってるのは、ほんとだったんだ。」というのと「それにしても、よく事務所を説得できたな」の2つだった。

 特にもこの「よく、事務所を説得できたな。」が強く渦巻いた。

 渡部さんが、「人力舎」ということは、知っていたので、佐々木さんの所属事務所トップコートのホームページを見ると、筆頭に「木村佳乃」の名前を発見。
 
 そこで、一つ目の「ああ、そうか」が飛び出した。

  さらに、見ると「杏」の名前が登場して、2つ目の「ああ、そうか」が飛び出した。

 そうなってくると、なんか話は単純そうに思える。「さては、トップコート、理解ある事務所だな。」ということだ。

 どういうことか言えば、「木村佳乃」と言えば「東山紀之」、「杏」と言えば「東出昌大」、そして、今回の「佐々木希」と「渡部建」ということである。

 先人たちが既に道をしっかり舗装済みだったのだ。しかもジャニーズ事務所とも合意を結んでいるのであるからして、今回は、そこまでのことではなかった可能性もある。実際は、知らないけど

 個人的に、一番、興味を引かれ、一度でいいから見てみたいと思っていたのは、「結婚」に絡み「どんな話し合いが行われたのか」だったが、どうやら、そこまでのことでは、なさそうに思える。

 おそらく、これからの佐々木希は「ママタレ」化していくであろうし、渡部は、「妻があの佐々木希」ということで、芸人として幅を大きくしていくという双方にプラスありということで「いいんじゃない?」だったのではないか。 
 
 ともあれ、勝手ながら祝福したい。

すずめがソロのカルテット

 今回の「カルテット」は、飲み会の話のネタとして使えそうな「SAJの3段活用」が出てきた。

 それは、興味のない相手から告白されたシチュエーションでは、S=「好きです。」→A=「ありがとう」→J=「冗談です。」との流れの会話が起こりがちというもの。
 3つめの「冗談です」で、その会話自体が全部リセットされるというのが、切なさを加速させるポイントだ。

 個人的には、もっと切ない、S=「食事行きませんか?」→「すいません。」という「SSの2段活用」の方が、悲しいかな、馴染み。

 っていうか、興味のない相手からすら、告白されないパターンの人生もあるということをここにそっと書いておきたい。特に意味はない。

 夕べの話は、すずめの片思いの模様がメイン。見ていると、同坂元さん脚本の「それでも生きていく」を思い出した。
 それには、満島ひかり扮する双葉がファミレスの紙ナプキンに、自らの思いを書きなぐるシーンがあった。
 「カルテット」での薄暗い不動産屋のキーボードの上で甘ったるい夢から醒めて、こぼれるように涙が頬をすべり落ちていくシーンは、それに匹敵するぐらいのものだったと感じた。

 どちらも、手に汗握るじゃないが、心に汗をかくというか、心が濡れるというか、見ていて、悲しみが画面を越えてひしひしと伝わってくるものだった。ひとりきりの芝居でこの感じが出てくるのは、演技の上手さもあるが、それ以上の何かもあるのかもしれないと感じた。孤独の悲しみを感じた。

 途中、たこ焼き屋を介して、視聴者にカルテットの4人の「アンジャッシュのすれ違いコント」ばりの全員が一方通行の片思い(家守→すずめ→別府→真紀のきれいな一方向の矢印)の全貌が明らかになるくだりがあるが、どうにも、怪しんではいたものの、家守さんがすずめにというのは、乗れない。なんだか乗りたくない。話を面白くするための作為が感じられるから。
 過去回をもう一度、見れば、家守さんがすずめにという伏線が何個かあるのだろうか。だいたい、有珠は、じゃなかったのか。スケープゴートだったのか。

 いずれにしろ、自分は何といってもすずめへの思い入れが強く、それぞれの片思いの結末というか、まず、すずめがどうなるかが最大の関心事。

 思えば、このドラマは、誰が主人公か分からない。ウィキによれば、松たか子ありきの企画のようだが、カルテット4人のマルチな視点で描かれていて、誰が主人公でも構わない雰囲気がある。

 という感じなので、そのとおり、すずめを主人公として最後まで見守りたく思う。それにしても、サンドイッチマン冨澤のマスターへの収まりのよさは、ちょっと異常だ。




 

「A LIFE」のことも書く

「A LIFE」
 革新的なドラマではないが、「木村拓哉」を筆頭に役者たちの演技模様に興味の引き付けられるドラマだ。初回あたりを見逃したものの、ちょっと見て、気に入って後追いで見ている。

 「木村拓哉」の演技は、どこかでも書かれていたのを素直にパクるが「受けの演技」である。抑制的と言えばよいだろうか。

 今回の役、沖田の演じ方は、大ヒットドラマ「HERO」の「雨宮!」のセリフでお馴染みの桐生みたいな分かりやすい主人公、主人公した主人公ではなく、はっきりいって地味である。灰色である。
 正義感が強く、真面目で実直な男、それが、沖田だからだ。だから、リアリズムからいってある意味では圧倒的に正しい。でもそうなるとやっぱり地味になる。
 そんな沖田がドラマツルギーの中心にいることは間違いないが、目立っているのはむしろ浅野忠信だ。
 意図的な事だろうが、木村拓哉木村拓哉していないのを見るのは、新鮮である。これからは、演技のギアを入れ換えますよという宣言にも取れる。「あすなろ白書」あたりの取手くんはこうだったか。いや、「君を忘れない」がこうだったか。いずれにしろ、これが新しい木村拓哉だったら、嬉しい。
 しかし、ついでにどうしても、例の騒動からの何らかのリスタートの息吹を勘ぐってしまうのである。いち役者として生きていく的な。頼もしいやつの。


 一部で話題になっているが、浅野忠信は、まさに怪演とでも言うべきぐらいにエキサイトした演技を見せてくれている。座頭市でもパッションを感じさせたが、今回の方が上を行っている。
 自分には時々、浅野扮する壮大がパロディー化した時の布袋寅泰に見える。そうなってくると、隣に亡霊のようにブライアン・セッツァー町田康氷室京介も出てくるから不思議だ。単なる連想ゲームだ。
 クールなパブリックイメージの浅野忠信が、拳を張り上げて、デーモン閣下のように高笑いするのを見るのは爽快である。菜々緒が開花させたあの悪女ぶりが加速装置として浅野を際立たせていることも申し添えておく。

 そして、ふたりの板挟みになるヒロイン美雲こと、竹内結子である。
 余計なお世話と色眼鏡かけ過ぎてあれだが、あの1件以来、強く生きなきゃと、なんだか表情筋が固くなってしまった感のある竹内結子が、美雲という柔らかな女性を演じることによって、朝ドラの時の可憐さを取り戻しているかのように見える。

 事ほど左様に、革新的なドラマではないがと前置いたが、木村拓哉木村拓哉しておらず、浅野忠信浅野忠信していないドラマでおまけに、朝ドラの頃の竹内結子の雰囲気が「ただいま」と帰ってきているという意味では、自分にとっては革新的なドラマかな。と思うが、どんなもんだろう。

 ちなみに医療を取り扱ったドラマだから、ついつい「白い巨塔」が引き合いに出されるが、社会の巨悪と戦う感じじゃなくて、これは、沖田と壮大の話だ。だから、いいんじゃないか。