この間の村田とエンダムの試合について

土曜日のあのこと
ボクシングの村田の件
判定が出た瞬間は「嘘でしょ」と思ったし
その後「手数が少ない」論に「そういうものか」と
しぶしぶ納得し

ところが、こうしてWBAのメンドーサ会長が
公式謝罪のコメントを出すと「やっぱりな(笑)」と思ったが

ここで「あれ?」と疑ってしまうのは
「もしかして、プロモーターさんたちは、初めっから再試合ありきで、そろばん弾いてませんかね?」ということ。

どの時点でかはあれだが
わざとこのような疑惑の判定を審判に下させ
「再試合」へもつれこむこと
 これ自体がそもそもシナリオだったのではという疑惑だ。

 だって「再試合」見たいでしょう。不可解な判定に怒りに燃え、再び、王者を仕留めにいく村田ってストーリーはかなり魅力的。チケット価格は沸騰する。とんでもない闇価格になりそうだ。
 
ひょっとして、それが狙いだったのか?
だとしたら村田は、たまったもんじゃねえなと思うのです。
それだとすれば、我々の目に見えないところで、村田にもお金をあげてほしいなんて思うのです。
この根拠のない仮説が正解ならば

それにしても
村田のディッフェンシブなスタイルを減点とするなら
エンダムの後半の連続クリンチも減点とすることが
公平ではないか。

だいたいにして
「闇雲にパンチを出せば、闘争的」ってなるんだったら
馬鹿馬鹿しい気もするんだけど(笑)

 とにかく、現役チャンピオンにアドバンテージありとは聞くが
どこからどこまでのアドバンテージなのかも具体的に示して
欲しい。
あらかじめ、例えば、何点かもらっておくとか
グローブの硬さを上げておくとか

興業として盛り上げていくことは、商売として必要なことは、わかるが、そのへんスポーツとしての論理ときちんと棲み分けしてほしいよねというのが、いち視聴者としての意見。

渡部建さん、おめでとう。

 
 渡部建佐々木希の結婚の報道を聞いてまず思ったのは「やっぱり、付き合ってるのは、ほんとだったんだ。」というのと「それにしても、よく事務所を説得できたな」の2つだった。

 特にもこの「よく、事務所を説得できたな。」が強く渦巻いた。

 渡部さんが、「人力舎」ということは、知っていたので、佐々木さんの所属事務所トップコートのホームページを見ると、筆頭に「木村佳乃」の名前を発見。
 
 そこで、一つ目の「ああ、そうか」が飛び出した。

  さらに、見ると「杏」の名前が登場して、2つ目の「ああ、そうか」が飛び出した。

 そうなってくると、なんか話は単純そうに思える。「さては、トップコート、理解ある事務所だな。」ということだ。

 どういうことか言えば、「木村佳乃」と言えば「東山紀之」、「杏」と言えば「東出昌大」、そして、今回の「佐々木希」と「渡部建」ということである。

 先人たちが既に道をしっかり舗装済みだったのだ。しかもジャニーズ事務所とも合意を結んでいるのであるからして、今回は、そこまでのことではなかった可能性もある。実際は、知らないけど

 個人的に、一番、興味を引かれ、一度でいいから見てみたいと思っていたのは、「結婚」に絡み「どんな話し合いが行われたのか」だったが、どうやら、そこまでのことでは、なさそうに思える。

 おそらく、これからの佐々木希は「ママタレ」化していくであろうし、渡部は、「妻があの佐々木希」ということで、芸人として幅を大きくしていくという双方にプラスありということで「いいんじゃない?」だったのではないか。 
 
 ともあれ、勝手ながら祝福したい。

すずめがソロのカルテット

 今回の「カルテット」は、飲み会の話のネタとして使えそうな「SAJの3段活用」が出てきた。

 それは、興味のない相手から告白されたシチュエーションでは、S=「好きです。」→A=「ありがとう」→J=「冗談です。」との流れの会話が起こりがちというもの。
 3つめの「冗談です」で、その会話自体が全部リセットされるというのが、切なさを加速させるポイントだ。

 個人的には、もっと切ない、S=「食事行きませんか?」→「すいません。」という「SSの2段活用」の方が、悲しいかな、馴染み。

 っていうか、興味のない相手からすら、告白されないパターンの人生もあるということをここにそっと書いておきたい。特に意味はない。

 夕べの話は、すずめの片思いの模様がメイン。見ていると、同坂元さん脚本の「それでも生きていく」を思い出した。
 それには、満島ひかり扮する双葉がファミレスの紙ナプキンに、自らの思いを書きなぐるシーンがあった。
 「カルテット」での薄暗い不動産屋のキーボードの上で甘ったるい夢から醒めて、こぼれるように涙が頬をすべり落ちていくシーンは、それに匹敵するぐらいのものだったと感じた。

 どちらも、手に汗握るじゃないが、心に汗をかくというか、心が濡れるというか、見ていて、悲しみが画面を越えてひしひしと伝わってくるものだった。ひとりきりの芝居でこの感じが出てくるのは、演技の上手さもあるが、それ以上の何かもあるのかもしれないと感じた。孤独の悲しみを感じた。

 途中、たこ焼き屋を介して、視聴者にカルテットの4人の「アンジャッシュのすれ違いコント」ばりの全員が一方通行の片思い(家守→すずめ→別府→真紀のきれいな一方向の矢印)の全貌が明らかになるくだりがあるが、どうにも、怪しんではいたものの、家守さんがすずめにというのは、乗れない。なんだか乗りたくない。話を面白くするための作為が感じられるから。
 過去回をもう一度、見れば、家守さんがすずめにという伏線が何個かあるのだろうか。だいたい、有珠は、じゃなかったのか。スケープゴートだったのか。

 いずれにしろ、自分は何といってもすずめへの思い入れが強く、それぞれの片思いの結末というか、まず、すずめがどうなるかが最大の関心事。

 思えば、このドラマは、誰が主人公か分からない。ウィキによれば、松たか子ありきの企画のようだが、カルテット4人のマルチな視点で描かれていて、誰が主人公でも構わない雰囲気がある。

 という感じなので、そのとおり、すずめを主人公として最後まで見守りたく思う。それにしても、サンドイッチマン冨澤のマスターへの収まりのよさは、ちょっと異常だ。




 

「A LIFE」のことも書く

「A LIFE」
 革新的なドラマではないが、「木村拓哉」を筆頭に役者たちの演技模様に興味の引き付けられるドラマだ。初回あたりを見逃したものの、ちょっと見て、気に入って後追いで見ている。

 「木村拓哉」の演技は、どこかでも書かれていたのを素直にパクるが「受けの演技」である。抑制的と言えばよいだろうか。

 今回の役、沖田の演じ方は、大ヒットドラマ「HERO」の「雨宮!」のセリフでお馴染みの桐生みたいな分かりやすい主人公、主人公した主人公ではなく、はっきりいって地味である。灰色である。
 正義感が強く、真面目で実直な男、それが、沖田だからだ。だから、リアリズムからいってある意味では圧倒的に正しい。でもそうなるとやっぱり地味になる。
 そんな沖田がドラマツルギーの中心にいることは間違いないが、目立っているのはむしろ浅野忠信だ。
 意図的な事だろうが、木村拓哉木村拓哉していないのを見るのは、新鮮である。これからは、演技のギアを入れ換えますよという宣言にも取れる。「あすなろ白書」あたりの取手くんはこうだったか。いや、「君を忘れない」がこうだったか。いずれにしろ、これが新しい木村拓哉だったら、嬉しい。
 しかし、ついでにどうしても、例の騒動からの何らかのリスタートの息吹を勘ぐってしまうのである。いち役者として生きていく的な。頼もしいやつの。


 一部で話題になっているが、浅野忠信は、まさに怪演とでも言うべきぐらいにエキサイトした演技を見せてくれている。座頭市でもパッションを感じさせたが、今回の方が上を行っている。
 自分には時々、浅野扮する壮大がパロディー化した時の布袋寅泰に見える。そうなってくると、隣に亡霊のようにブライアン・セッツァー町田康氷室京介も出てくるから不思議だ。単なる連想ゲームだ。
 クールなパブリックイメージの浅野忠信が、拳を張り上げて、デーモン閣下のように高笑いするのを見るのは爽快である。菜々緒が開花させたあの悪女ぶりが加速装置として浅野を際立たせていることも申し添えておく。

 そして、ふたりの板挟みになるヒロイン美雲こと、竹内結子である。
 余計なお世話と色眼鏡かけ過ぎてあれだが、あの1件以来、強く生きなきゃと、なんだか表情筋が固くなってしまった感のある竹内結子が、美雲という柔らかな女性を演じることによって、朝ドラの時の可憐さを取り戻しているかのように見える。

 事ほど左様に、革新的なドラマではないがと前置いたが、木村拓哉木村拓哉しておらず、浅野忠信浅野忠信していないドラマでおまけに、朝ドラの頃の竹内結子の雰囲気が「ただいま」と帰ってきているという意味では、自分にとっては革新的なドラマかな。と思うが、どんなもんだろう。

 ちなみに医療を取り扱ったドラマだから、ついつい「白い巨塔」が引き合いに出されるが、社会の巨悪と戦う感じじゃなくて、これは、沖田と壮大の話だ。だから、いいんじゃないか。



 

Rー1についてのつぶやき

チャンネル回すと
Rー1
おっ、紺野ぶるま
どす黒い微笑み。

紺野ぶるまに誰も入れてくんなかった。
っていうと下ネタがよぎる。

そもそも紺野の芸風的にもよぎる。
ネタが始まった時にも
そんなに知らないから
下ネタ漫談かな?と思った。
浮気で揉めてた時に
あれがぺちんって頬っぺたに当たって
我に返ったっていう
あのハートウォーミングな話かな?
と思った。
すると中国人占い師のネタだった。
失礼な話 意外としっかり作られてた。
ネタもいいけど
本人から醸し出される。
クズ感がたまらなかった。
「行き場を失ったオリーブオイル」
のフレーズも琴線に触れた。
よーし、一票だ。


ところが
板尾さんも、清水のミッちゃんも、ヒロミも、関根さん窓辺のマーガレットも入れてくんなかった。
残念だ。
入れてもあの重森さと美のまがい物みたいな元気印が勝つんだから
罰当たらないよ。
そうじゃないのだろうけど
うっすら中国人をバカにしてたから?
これをやるのにヘイトを感じさせないには
ゼンジー北京的に突き抜けないとダメなのか。
それは、俺もいい気はしなかったよ。
なんとなく
だから、胡錦濤に気を使った?
今後、米中
どちらに乗り換えてもいいように?
いずれ、インバウンド大事だもんね。


次は、マツモトクラブがいいなと思った。
スケッチっていうのか?
シチュエーションコントの
駅のホームでの風景を
切り取ったやつ
ちょっと、じんわりしたし
いいじゃないか。
マツモトクラブ
稲垣吾郎に似てんな。
よーし、マツモトクラブだ。

ところが、
板尾さんも、清水のミッちゃんも、ヒロミも、関根さんも、若い頃のさんまにガミガミ言った人も入れてくんなかった。
残念だ。
入れてもあのデジャブの塊みたいなブルゾンが勝つんだから
罰当たらないよ。
With Bがいない分 精彩を欠いてたけど
バックの事務所に気を使った?
ねぇ?やっぱ出来レースなの?
レコ大と一緒?
石出奈々子じゃないけど、夢、見たいよ。

よりによって
アキラ100パ ーセントか。
なんだろうか。
白い恋人面白い恋人みたいな。
もういいよ。
購買意欲沸かないよ。
ザコシは、不思議な面白さを咲かせてるからいいけど
こういうアキラは、いいよぉ。

おいでやすが
地味なルックスに似合わず
アグレッシブに噛みついていくのがツボだった。

カルテットにおけるフラットな存在感

カルテット2話目
今回は、別府こと松田龍平の回だった。

 大島渚の「御法度」や松尾スズキの「恋の門」の映画に出始めた頃は、もうちょっと違かったと記憶しているが、「舟に乗る」、「あまちゃん」の頃には、松田龍平は、いつのまにやら、ボソボソと能面に近い表情で喋る俳優になった。悪く言うつもりは、ないが、よくコンクリートのところを黙々と這っているようなジメジメ感のないでんでん虫のようなイメージだ。

 鶴瓶さんのやってる「A-studio」にこの間、カルテットに出ている高橋一生が出ていたのを見た時、間違ってるかもしれないが、このような趣旨のことを喋っていた。

○「自分は、役をやっている意識は、なくて、そのまんま台詞を喋っていくことで役になっていく。」

→身体を「ハード」、台詞を「ソフトウェア」としてインストールしていくことで演じるという方法だろうか。

 これは、松田龍平にもあてはまる話ではないか。
 松田龍平も「役を演じている感」がフラットであるように感じられる。別府という男のようでありながら、松田龍平その人でもあるように感じられる。満島ひかりも、また、そのような感触が伝わってくる女優さんだ。

 一方、松たか子だけ、主要4人の中で、違う手触りの演技の方法をやっているんじゃないかと自信はないが、自分は感じる。松たか子だけ、松たか子じゃなく、巻さんとして軽井沢にいる。

 そして、まだまだ途中だが、このお話は、松たか子を中心にして回っていくような話のように思うので、そのような、巻さんこと松たか子松たか子でないこと、つまりは、ミステリアスで底が知れないことはプラスにしかならないため、自分がそういう見方をするからそうなっているだけだとは、思いつつも、万が一そこまで計算しているのならば、ほんと、スタッフや役者さんたちは非常に優秀で素晴らしいなと思うのだ。

 今回、別府さんこと松田龍平の同僚として出てきた菊池亜希子さんの演技が心地よかった。女優さんとしての能力の高さを感じた。非常にきれいな女優さんだし、思わぬめっけものだった。
 

江角マキコの引退~それは、one way driveなのかい?~

 「江角マキコ・引退」だそうだ。報道を見ていると、根拠なしだが、なーんとなくしばらくすると、戻ってきそうな予感がする。

 それが、「不倫疑惑」の追求を避けるための雲隠れプランで、ほとぼりが冷めて、戻る腹づもりがあるなら「休止」にすればいいのにと老婆心ながら思っている。どんなもんだろう。そうしといて、戻ってきたらいいのに。その方が、ハードルは下げられる。

 この人の悲劇みたいなことがあるとしたら、その始まりは、「江角マキコ」が、「江角マキコ」じゃないことに始まるんじゃないか。

 あの大ヒットドラマ「ショムニ」が当たったばっかりに、みんーな「坪井千夏」の役柄と「江角マキコ」の人間性を混同してしまったような気がする。

 だから、「坪井千夏」のように、姉御肌で、ちゃんとした意見があって、なんだかんだしっかりしていて、言いたいことは言うみたいな、そういうキャラクターが「江角マキコ」になっているのだ。

 一連のスキャンダル「年金未納」、「落書き」、「不倫疑惑」から見えてくるのは、「江角マキコ(坪井千夏)」は、「江角マキコ(本来の人間性)」じゃないということだ。

 弱くて、ずるくて、堂々していない姿。でも、それは、平均的な人間像ではなかろうか。
 むしろ、至極、普通ではないかと思うのだが、忘れた頃にまたぞろ「坪井千夏」を引きずった「江角マキコ」としてカムバックしてくるからいけない。

 たぶん「坪井千夏」は、年金を納めてなくても「年金?なんで、納めなきゃいけねぇんだよ!」って言う気がするし、落書きについては、少なくとも人に命じては、しないと思う。

 とにかく江角さんというと、「坪井千夏」成分よりも、どちらかというと、「ゴチ」なんかで見せるような、ちょっと、抜けている感じの笑える隙のある江角さんの方が、味があって、周囲にも親しまれていたのだと思うが、ご本人はどう考えていたのか。

 個人的には「one way drive」が大好きなので、江角さんには、ぜひ、復帰して全力で歌ってくれることを期待してやまない。