今季は、「カルテット」だ。

 今季のドラマは「カルテット」ではないか。

 「全員、片想い、全員、秘密あり」のラブ・サスペンスと銘打つこのドラマ。

 出てくる人たち、松たか子松田龍平満島ひかり高橋一生 全員、演技が上手くて何の心配もなし

 惜しむらくは、「銭の戦争」の渡部篤郎、「ナオミとカナコ」の高畑淳子的怪演がないところか。

 弱そうだなってところは、吉岡里帆ぐらいかな。まだ、若いし。

 脚本は、「それでも生きていく」、「mother」、「最高の離婚」の坂元さんだし、見た人は、もたいまさこなんだろう?やっぱり猫が好き以来だなって思ってたら、最後の方で「そういうことね。」とニヤリとさせられる。

「問題のあるレストラン」とか「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」とかあったけど、今回は、当たりではいか。

 心に残ったのは、みんなで唐揚げを食べるシーン。全部にレモン汁をかけようとするのを高橋一生が「かけたくない人もいるから、個々にかけたらいい」と言う場面。
 空気が悪くなるのに構わず、理屈を述べていく姿に膝を打った。
 「そうだよな。」と思った。でも、この世の大多数は、そんなこと言う高橋一生の役みたいな人を「めんどくさいやつ」として処理するんだろうな。仕方ないか。
 
 あとは、満島ひかりが可愛いんだ。なんてったらいいか、服が似合う。モデル的な身体性ではなくて、人物的な精神性から来る服のフィット感っていったら、いいだろうか。園子温の「愛のむきだし」の頃から、可愛いが磨きが加速するばかりの天井知らずだ。

 余談だが、この「全員、片想い、全員、秘密あり」というのは、「ハチミツとクローバー」を思い出した。
 昔、「ハチクロ」の結末を知りたくて、ある女の人に「最後は、誰と誰がくっつくの?」と聞いたら、食い気味に「誰も幸せにならない!」と言われたのを思い出す。引いた。言葉に体重が載ってた。なんだったのだろう。

ロン毛は、病気じゃない

 去年、同級生たちが集まり、お酒を飲みながら、話をしていた。
 その中で、ある人物がある場面に集中豪雨的に「何?そのロン毛」と言われていたことがあった。

 確かに、言ってるとおりの正真正銘掛け値なしのロン毛なのである。
 しかし、恥ずかしながら、自分としては、そのロン毛をあまりにも自然なこととして受け止め過ぎていて「何?そのロン毛?」って、思ったことがゼロだったから、自分が言われたわけじゃないけれど、まるで自分が言われたかのように焦り、心揺れた。

 その人たちの意見は、大正論な意見で大アリだと思った。そのとおりじゃないかなって。

 そもそも、昔の侍って、ちょっと趣旨は違うけどロン毛じゃない?それに意味は違うけど、女の人たちだってロン毛じゃない?グループサウンズの人とかやってなかった?マチャアキもそうじゃなかった?かぐや姫は?それこそ金八は?熱中時代は違うか。夕日ヶ丘の総理大臣は違うかってのはあるが、

 ロン毛って、やっぱり保守的な日本人の目からしたら男性のとしては、いくら、キムタクなどのパイオニアが文化的風穴を開けようが、ブラピがゴーマルシャンと歌おうが、まだまだ、時代の段階的には、そこまで推奨はされてないというか、スタンダードではないような、嫌悪感は薄まっても、ちょっといただけない髪型だとされている気がする。

 だから、ロン毛は、未だに若干の「異端者のしるし」として機能している現状というのが、厳密には知らないが、あるとすれば、「そのロン毛、何?」という方が誰が見ても圧倒的に正しく、むしろ、言われた人がそういう風に変に思われたり、損しないように、心からの親切心で言っているに違いないのだ。

 じゃあ、自分はというと、その人のことを「ロン毛でいいんじゃないか。」と思っているのである。ジョジョアバッキオみたいで、いいじゃん。決して似合ってなくはないと思うしと。

 それは、なぜかと尋ねられたら、自分はその人に「異端者」であってもらいたいと思うからだ。

 だから、こっちに迷惑をかけたり、公序良俗に反したり、その人の命を縮めることでない限りは、むしろ、もっともっと破壊的に、アヴァンギャルドに燃やし尽くす勢いでやってくれないかと思っているのだ。

 バカな話で恐縮だが、へそピアス・舌ピアス、右手をドリルにしたり、サイコガンにしたり、ロックマンにしたり、顔面を実家に帰るときだけ「ヘル・レイザーのピンヘッド」風にしたり、命に別状さえなければ、「ホムンクルス」の「トレパネーション」なんかもやってくれたらなと本人には伝えないが密かに思っている。

 言ってみれば「サイキックTV」のジェネシスのクラスまで、行ってくれたらってのがある。そうなったら、極点まで達したリスペクトの念から、ほんと土下座するしかない、降参の意味で失禁するしかないと思うし、自分は、壊れたサルのおもちゃのように手を狂い叩いて喜ぶのが目に浮かぶ。

 
 

 

「SMAP解散」、目線の変化

 「SMAP解散」って、きちんとしたファンでもない自分には、ちょっと寂しいなぐらいの影響かなって思ってたら

 その後、元SMAPのメンバーがひとりでバラエティーなんかに出てきた時、見るまなざしが、こうも変わるのかと自分で自分に驚いた。

 テレビだから、そんなバカなとは、思うが、しなくていいのに、なんかこっちが人見知りするのである。

 言ってみれば、例えば、行きつけのガソリンスタンドのお兄さんなんかと、街中で偶然出くわした時に、「ガソリンスタンドのお兄さんの感じ」じゃなかった時の戸惑いと言ったらいいだろうか。

 または、余計なことを言うと、「会社社長のおじさん」がいろいろあって「ただのおじさん」になった時の「会社社長だから」と気を回してかさ上げしてた分扱いに困る感じと言ったらいいだろうか。

 ガソリンスタンドじゃ、遊んでなさそうな感じだったのに、チャラチャラしたの雰囲気とか服装とかで、現れた時に「あ、どうも。」と声をかけづらいときのあの感覚。

 社長だからと、普通のおじさんより、持ち上げてたのに、何の権力もなくなって、それなのに偉そうな口ぶりが抜けてなくて、それへの違和感のような感覚。

 今まで、いかに「SMAPの」という枕詞をつけてそれぞれを見ていたのかと気づかされる始末だ。

 だから、今後は、晴れてなのか、個人になったわけで、個人としてのまなざしへチェンジするまでのこの期間と思えばよいのだろう。

 ちょっとずつ、その傾向(「キムタクのタトゥー的なやつ」)があるが、これからは、「SMAPして守らなければいけないこと」が解禁となり、例えば、人気を左右するような「猟奇犯罪マニアです。」とか「飲尿療法が日課です。」とか「2次元しか愛せません」とか「事故物件に選んで住んでます」とか人気商売ゆえの隠し玉が出てくるんじゃないかとワクワクしている。

 勝手な話、稲垣吾郎香取慎吾あたりがそのへんの埋蔵量が巨大な気がする。

 

 

 

 


 

角田さんのこと

 「角田さんの件、触れてくれるかな」とニヤニヤしながら、「ワイドナショー」見ていると、ド頭から触れてくれたから大喜び。録画放送の収録は、週末と聞く。間に合ったようだ。

★自分の聞いたことをまとめると
・角田さんは、バラエティー対応ができつつ、それでいて、リフェリーとしてのちゃんとした威厳のある人物として、ガキ使の「叩いてかぶってジャンケンポン」にキャスティングされ、一度は、OKしたものの、収録の2日前に断ったとのこと。
・この時の「叩いてかぶってジャンケンポン」は、2週連続放送で大々的にやろうという趣旨のもので、大勢の芸人たちのスケジュールが抑えられていたとのこと。
・断わられた時点で、角田さんのレフェリーの衣装も既に準備されていた。
・結局のところ、角田さんの代わりとなる人物が収録日まで決まらず、その日の収録は、流れてしまったとのこと。

→松ちゃんは、事実を述べた後、「なぜ、今なのか?というタイミングの問題」と「それを、直接言わずに、ブログでって何?と手段の問題」と「自分を名指ししたこと」に疑問を呈していた。


さて、何も知らない素人の憶測。
①「なぜ、今なのか?」
→「今、仕事がうまくいっていないから」
②「ブログを選んだのは?」
→「今時は、ブログかなと思った。人々をたきつければ、山が動くかなと思った。」
③「松ちゃんは、名指ししたのは。」
→「非難しつつも、松ちゃんなら、話せばわかってくれると思った。」

○まとめ
 角田さんは、どこまで事情を知っていたのか。ひょっとすると、角田さんの情報不足が原因ではなかろうか。
 松ちゃんの認識が事実だとすると、マネージャーとかに聞けば、別のアプローチを取る方が自然である。

 どっちかが、嘘を言っている可能性はなきにしもあらずだが、どちらにせよ、力関係からいって、「角田さんが何を言っても松ちゃん正しい説」がまかり通るのだから、角田さんはそのへんふまえてのキュウソネコカミでなくてはならない。

 よく分からないが、「断り方」が、良くなかったんじゃないか。不義理を働いたと製作サイドが思うような謝罪だったのでは?
 
 結局、武蔵も良く思ってないとか、明るみに出たし、佐竹からもなんか言われるし、事実はどうあれ、これをもって正式に松ちゃんとテレビ局と吉本に弓を引くことになったし、角田さんにいいことなし(笑)

 でも、ここから、逆転したら巨大なカタルシスあるので、ぜひ、頑張っていただけたらと願うばかり。

 ただ、今年の年末の「笑ってはいけない」に角田さんが「共演NG解いてくれよぉ。」なんて言って、出てきてくれたら面白いので、柔軟な対応をお願いしたい。

SMAPの終わり、幼年期の終わり


 この間のスマスマで、SMAPは、とうとう幕を閉じた。
 
 いいともが終わった時と違うのは、いいともは、中心となるタモリさんと時代時代の人気者たちが一丸となって、作り上げた番組だったんだなというのに対し

 スマスマは、ほんとに基本は、SMAPとstaffが作り上げた番組だったのかなという感じの違いがある。

 もちろん、人気者たちの力を借りてるのは同じだけど

 SMAPの解散を通じてわかったことは、 いつの時点かは、分からないが、知らず知らずのうちにSMAPは、「SMAP(中居・稲垣・草剪・香取)+木村拓哉」だったのではないかということだ。2派統合チーム。
 

 実態は、ずーっと前から、「SMAP(中居・木村・稲垣・草剪・香取)」ではなくて「SMAP feat 木村拓哉」に近かったのかな、そうだったのかな。それが正解かっていう。

 まぁ、どうしてもグループだから、仲良しに違いないって先入観的な見方や、仲良くしていてほしいと願いが働くが、
 
 そもそも、友人同士で結成したなれそめもなく、超がつくほど仲良くたって、長く経てばいろいろあるもの、こうして、最後に不和が飛び出してきてもむしろナチュラルではないか。ファンとして喜ばしいか別として

 それよりも、ふーん、そうなるの??ってのが、構図的に、4対1になってること。普通、なかなか、5人組で4対1ってならない(笑)どんな状況よ??という(笑)

 事務所だなんだ絡んでるせいではあるけれど、だから、そこがなんかすげぇ。注目すべきポイントじゃないか。

 4は、4で1を説得できなかったの?って思うし、1は1で同調圧力に心折れなかったの?強い精神力だなーって思うな。

 この場合、1が損な気がする。なんとなく、多数派故に4の方が正しく見えるからだ。実際のところは知らない。

 とにかく、解散を経て、木村拓哉の芯の強さ、個の強さが浮き彫りになったと思う。ユダって(笑)ただ、意見が違うだけなのに(笑)ユダ呼ばわりはないわ(笑)
 

 だから、木村拓哉を応援したい。木村拓哉がいちどきSMAPをリードしてきたのは間違いないし、よく知らないが、ジャニーズの歴史のなかでも、木村拓哉ほど重荷を背負った人も中居ぐらいしかいないので(笑)
 人数の少ない方をフォローしたい。小さな声で届かないエールを送りたい。

 



 

 

 

 

 

ガキ使「熱血!浜田塾」

 今回の「ガキ使」
何回目になるだろうか。
数えてないから、わかんないけど
けっこうやってるはずの「熱血、浜田塾」。

「たるんだ芸人に活をいれるために、あの人が現れた」みたいな前フリのテロップ

 忘れていたんで「あれ?村上ショージのやつか?」と、自分が普段ぼんやり暮らしている感じが出て、不覚にも思ってしまいましたが、現れたのは、宇宙飛行士の向井千秋さんのご主人みたいなおかっぱ頭ヅラを装着していたあの浜田塾長でした。

 相変わらず、ビジュアルが強い(笑)年々、老化と共に方正を抜いて番組のマスコットキャラクター化が進んでいる(笑)

 なんとなく調べると、過去にNHK で放送された若者の悩み相談的な浜田単体のトークバラエティ番組の名前をガキ使に流用してたのか。知らなかった。今、知った。 それへの遅れてきたイジリもあったとは。NHKも懐深いな。素晴らしいな。なにかのポイントアップ。了解を得られてのことかは、知らないけど(笑)

 番組を最後まで見終わって思ったのは、「これ、ようやく、いつまでも生乾きだったコンクリートが固まってきて、ゴールデンへの道のりが見えてきたのじゃなかろうか(笑)」ということ。 

 その前までは、なんとなく感覚的にまだ手探りでは?というところを感じていました。
 
 ところが、今回から、それぐらいにフォーマットがしっかりしてきたというか、浜田塾でのダウンタウンの阿吽の呼吸が前回を越えてよりバッチリ合ってきた感じがしました。「塾長は、いいぞぉ」(笑)

 二人は、どんなコーナーでも繰り返すたびに巧みに乗りこなしていくベテランドライバーではありますが、この「浜田塾」のダウンタウンがタッグを組んで悪ふざけする感じがたまらなく好きです。


 今回の見所は、ココリコ田中。止まらない部あたりからのココリコ田中大活躍の回というか、浜田塾長の意により、本人の意思に反して強いられた形での活躍。

 特にも止まらない部で「田中、TURBO 入れろ」を執拗に繰り返され、素早い動きを何度も強要されることでヘトヘトに疲れ切り、壊れていく田中のダイナミズム(笑)

 そして、「雄叫び対決」では、田中をもう一段階追い込むように、誰と対決しても「田中勝ち抜け!」で残されていく八百長勝利で田中を地獄へ送り込むあの感じ。

 最後、ウィニングランと言われて、ソロで雄叫びを上げたものの、ネタ切れでスベリ気味になった田中への松ちゃんの「田中の負け!」は、オチが綺麗すぎて、綺麗すぎて鳥肌が立ちました。これは、永久保存の回だなと思いましたよ。

個人的には、「リンカーン大運動会」よりも「熱血!浜田塾」こそ、やってほしいなと思います。

近年、「ガキ使」においての田中のポジション上昇には目を見張るものありますな。そりゃ、ZIP に抜擢されるなと。遠藤も森進一など、面白いですけど。

それにしても、出川哲朗が再評価される中、上島竜兵もモンストやるなよもやってのに、方正さんが活躍してないのは、もったいないというか、悔しさすら感じます。
しかも、今回も「今日はココリコ田中」みたいな流れができてから、方正が手抜きをしてずるい顔をしてたように感じました。そろそろ、裁判もいいのではないでしょうか。

 

タランティーノの「ヘイトフル8」のこと

  
 ヘイトフル8を見終えてすぐに、東京に住むあのマッドマックスを見て、両目からマグマのように赤い血を吹き出していた盟友の顔が浮かんだ。

 「これを見て」と一刻も早く伝えなくちゃと思った。

 劇中の、良識を鼻で笑うグロテスクさ、血は、赤血球とかではありません。紙吹雪ですってな感じの容赦ないヴァイオレンス、これぞタランティーノとばかりに全開な濃厚なケレン味
 
 さらには、映画の舞台が荒木先生のあのスティールボールランをいやがおうにも彷彿とさせる血も涙も乾く武骨な西部劇世界。もう完全に「こんなん好きなんやろ」の範疇で間違いないと骨が軋むほど確信したからだ。

 サミュエル・L・ジャクソンに、カート・ラッセルティム・ロスと揃いも揃った演技巧者の怪人たちの中でも、ひときわ突出していたのは、おいしい役どころではあるのを差し引いても、どす黒い輝きを放っていた一万ドルの賞金首の女盗賊デイジー・ドメルグこと、ジェニファー・ジェイソン・リーだ。

 他人の命や尊厳なんて石ころって感じの堕ちるところまで墜ちきり、腐った香りが逆説的な魅力を持つに至った人間の荒み加減の演技がうまくてうまくて、唾を吐いたり、鼻をかんだり、悪態をつく様子から何からがもう憎たらしいったら、ありゃしない。

 鑑賞中、映画に入りすぎて、ドメルグへの怒りに震えて、何度も、そのへんのゴミを思いきり投げつけたくなった。
 でも、そのモストデンジャラスな屑っぷりの持つ超強力な磁力にまんまとしてやられて終始釘付けにさせられた。

 また、途中でギターをつま弾いてほろっと歌を歌うあたりに、そこから、やろうとしてることはまさに鬼畜の所業なんだけど、その音楽を奏でる姿にちゃんと善良な魂も一ミリぐらいはあるんだよというのがほんの一瞬だけ垣間見れて、デイジーの悪辣なだけではないデュアルな可能性を秘めた人格の奥行きを想像させ、なんとも言えなくなった。

 サミュエル・L・ジャクソンも格好いいし、言うことなしなんだけど、このヘイトフル8は、完全にドメルグで回っているでしょうよと思った。でも、ドメルグ中心の映画と言い切ったら、言い過ぎかな。

 もう十二分に言ってるわと言われたら、無駄に頑張って「それは人による。」と強い目で「どうして、いつも兄貴と比べるんだよ」と父親に反抗の言葉をぶつけるかわいそうな弟ばりに、はっきりくっきりと毅然と答えたいが、言えば言うほどネタバレになるのは、全く、反論の余地もなく、そのとおりっちゃそのとおりなので、このへんで幕引き。